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京大出身経営者が語る大手からスタートアップへのキャリア/学生向けキャリアセミナー

2022/11/18

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2022年10月28日、京都大学の学生向けキャリアセミナー「京大出身経営者が語る大手からスタートアップへのキャリア」が開催されました。

株式会社HERP 代表 庄田氏、株式会社ナウキャスト代表 辻中氏、クラスター株式会社取締役 岩﨑氏が一同に会し、

・キャリアチェンジのきっかけ
・リアルな年収や資産状況
・学生時代に戻れるなら入社したい企業

などについて、学生向けにざっくばらんにお話をしました。

三菱商事・リクルート・日銀と誰もが知る超有名企業からスタートアップに転職や起業をした3人。なぜその決断をしたのか。大手企業の時とどう変わったのか。

本記事ではイベントの内容を一部抜粋してお届けします。

本日のイベントの登壇者​​

クラスター株式会社 取締役 岩﨑 司

2011年、京都大学法学部卒業後、三菱商事株式会社入社。三菱自動車の海外販売·オートローンを行う本部にて連結決算、税務、M&A等の事業管理を担当。2014年、キャリア女性の活躍を支援する人材系ベンチャーの株式会社LiBの創業期に参画して事業立ち上げや営業企画等を担当。2017年4月よりクラスター株式会社に参画後、COOとして事業開発や資金調達等、開発以外のすべての領域を管掌。その後、コーポレート全般を統括するCFOを経て、2022年10月より経営企画·人事を管掌。

株式会社HERP 代表取締役CEO 庄田 一郎

2012年、京都大学法学部卒業、新卒でリクルートに入社。SUUMOの営業を経て、リクルートホールディングスへ出向し、エンジニア新卒採用を担当。2015年、採用広報責任者としてエウレカに入社。2016年、カップル向けコミュニケーションアプリ『Couples』のプロダクトオーナーとして事業開発に従事。2017年、株式会社HERPを設立し代表取締役CEOに就任。デジタル人材採用を加速する採用管理システム『HERP Hire』とタレントプールシステム『HERP Nurture』を開発・提供中。

株式会社ナウキャスト 代表取締役CEO 辻中 仁士

2013年、京都大学経済学部卒業。日本銀行にて調査統計局、下関支店及び企画局に勤務し、統計業務や経済調査業務に従事。2015年9月よりナウキャストにてシニアアナリスト兼セールスマネージャーとして事業開発を推進し、2019年2月より現職。

ナウキャスト 辻中さんのキャリアについて

岩﨑:このイベントのファシリテーターを担当する岩﨑です。まずは辻中さんからご自身のキャリアについてお話ししていただきます。よろしくお願いします。

辻中 仁士氏(以下:辻中):株式会社ナウキャスト 代表の辻中です。よろしくお願いします。僕は京大の経済学部を卒業後、日銀に入社、2年半ほど働いて今の会社に移りました。

今日の登壇者は「京大出身の経営者が語る」というタイトルがついてますけど、立ち位置はそれぞれ違うと思っていて、庄田さんは創業社長。岩﨑さんは取締役。僕は社長として会社を経営していますが、創業はしていません。

ナウキャストは東大の渡辺努先生が創業した会社なんです。僕はその会社の3人目の社員で4代目社長です。またナウキャストは会社が買収された経験があり、2021年には親会社のFinatext Holdingsがマザーズ市場(現グロース市場)に上場しています。クラスターさんとHERPさんは、上場を目指している段階ですよね。

登壇者3人、それぞれ見えている世界が少しずつ違うのでは?と思うので、そこを意識して聞いてもらえると良いのかなと思います。

辻中:実は今日の講演を迎えるにあたって、うちでインターンを行っている京大生の子に「今の学生はどんな話が聞きたいのかな?」って聞いたんですよ。

そしたら、”日銀からスタートアップ企業に転職” 辻中さんはこれだけがパンチだから、ここだけ強調して話したら良いと言われました(笑)

なので、僕からはなぜ日銀からスタートアップ企業に転職をしたのか、ここをメインにお伝えできたらと思います。

日銀からなぜスタートアップに転職!?

辻中:僕の転機は3回あって、1回目は留学で優秀な仲間に出会えたこと、2回目は経済学の勉強に励んだこと、3回目は日銀に入って自分の指向性に気づけたことだと思っています。

辻中:正直、僕は大学1年生の時は6単位くらいしか取っていない不真面目な学生でした。でも日銀に行くと決めたことで、4年生の時は25コマ全部の授業に出て、半期で50単位くらいとりました。そのくらい経済学を勉強し直したんですよね。それが今の仕事でもすごく活きています。

ちなみに日銀に入ったのは、どうしても日銀に入りたかったからではありません。就活は商社・コンサル・外銀、いわゆる学生に人気な会社ばかり受けていたんですが、50社中2社しか受からなかったんです。

当時、「俺みたいな人材欲しくない企業はないだろう」と思って就活していたんですけどね(笑)受かった2社中の1社が日銀でした。

岩﨑:よくある就職活動の軸はなんて答えていたんですか?

辻中:日本経済のためになりたいとか・・・志望動機のテンプレを作って、全ての会社で同じようなこと言っていましたね。

岩﨑:なるほど、皆さんは真似しない方がいいですね!

辻中:それで、どうにか日銀には入れたんですが、日銀で働いたことで重要なことに気づけました。それが、自分がリサーチャーとしての生き方は望んでいないんだなということでした。第三者じゃなくてプレイヤーになりたいんだなって。

実際にリサーチャーやエコノミストの仕事をやってみたんですが、全然面白くなかったんですよね。日銀の仕事は基本的には第三者としてリサーチすること。PDCAでいうと、Dがないわけですよ。CとかAしかやりません。

そんな時にたまたま山口県下関の日本酒蔵がビジネスでV字回復した事例を調べることになって衝撃を受けました。

参考)日本銀行下関支店「山口県の日本酒製造業の取組み~地域産業の活性化の一例~」(2015年4月)

https://www3.boj.or.jp/shimonoseki/report/topic/topic1504.pdf

辻中:酒蔵の人たちが、地酒という領域に対し、イノベーションを起こしている。自分たちのブランドを作って、製造方法を変えて、直販の経路も整えて。地酒メーカーとしては初めて海外にも出店したそうです。結果的に、日本で唯一、山口県は7年連続で日本酒の生産量を増やしていました。

辻中:それを知って、ただリサーチして第三者として意見するのではなく、自分もプレイヤーとして何か業界を変えるようなインパクトを自分の手で生み出したいなと思いました。

そしたら勤めるのは日銀ではないなと思って、東大発スタートアップ企業のナウキャストに転職しました。

岩﨑:なぜナウキャストだったんですか?

辻中:僕はこの事例を知って日本酒の酒蔵にすごく憧れを持ったんですが、一方で、

自分はプレイヤーとして日本酒を作ることはできないとも思ったんです。

そこで、酒蔵の人たちが日本酒に想いを込めたように、自分にとって想いを込められるものは何かなと考えた時、今までのリサーチャーとしての経験を活かしたいなと思いました。リサーチャーとして感じていた世の中のペインを解決する会社に入りたい。

ナウキャストが行っていた経済指標のリアルタイム化は、僕がリサーチャーとして感じていたペインそのものを解決する取り組みでした。

それに感激して、ナウキャストという企業に入社することを決意しました。

スタートアップで気になるお金事情

辻中:あとスタートアップに転職するときに気になるのが、お金まわりだと思います。

僕自身の資産はキャッシュで持ってるものと株で持っているものがあります。私の場合は上場承認を受けて公募初日に1万株ほど手放して1,000万円キャッシュにしました。とはいえまだ殆ど株で持っています。

岩﨑:ちなみに給与はどの程度もらっているんですか?

 辻中:給与を求めるなら商社やコンサルに行った方が良いと思います。ただ、友達とも話すんですけど、上場して資産形成できた僕は(運が良かったのもありますが)商社やコンサルに勤めている友達よりも資産を多く持ってはいると思います。

スタートアップで上場して資産形成できた僕は恵まれているなと思います。

HERPの庄田さんのような創業社長だと株の売却タイミングが難しいので、そこは悩ましいところだと思いますが。

岩﨑:創業社長だと、売ると自分の会社がコントロールできる割合がどんどん減るので、嫌がる人も多いですよね。その辺りは、創業社長の庄田さんの話も聞いてみましょう。

HERP 庄田さんのキャリアについて

岩﨑:続いて、庄田さんに話していただきましょう。よろしくお願いします。

庄田 一郎氏(以下:庄田):株式会社HERP 代表の庄田です。私たちの会社は企業の採用活動に関わる方々にお使いいただく採用管理システムやタレントプールといった、いわゆる「SaaS(Software as a Service)」と呼ばれるカテゴリーのプロダクトを開発しています。普段、さまざまな企業のコーポレートサイトやその採用ページで求人票のURLを見かけることがあるかと思うのですが、そのシステムを作っています。現在、設立5年目で社員数は100名程度の組織となっています。

僕自身の話を端的にまとめると、伝えたいことは2つです。1つ目は、僕の学生時代はめちゃくちゃ普通の京大生だったので、能力も高くない普通の学生でも、起業して色々できるんだということを伝えたいです。2つ目は、最も大切なことは、常に適切に目線を上げ続けられるかだと思っているので、その重要性についてお伝えしたいと考えています。

庄田:まず、いかに僕が普通だったかを話したいのですが(笑)

学生時代は軽音サークルでバンド活動に取り組んでいました。毎週水曜にライブをして、その後は飲み会。それ以外は就活関連の広告営業や編集と塾講師のアルバイトばかりやっているような日々だったので、ほとんど大学には通っていませんでした。当時はシェアハウスで暮らしていて、そこに友人もよく来てたので、みんなでポーカーをやったり、のんびり昼に起きてラーメンを食べに行ったり。特に強い目的意識や計画的に資格取得に取り組んでいたわけでもなく、おそらくかなり一般的な学生のひとりという印象ですよね。

就活においても多くの学生と同じく、「就活ブランドランキングの上位企業のどこかに入社できたら良いな」くらいの感覚でした。外資系やベンチャー企業を軸に採用試験を受けて、日系大手のリクルートに入社しました。

岩﨑:僕はリクルートは大きな会社だけどベンチャー企業だという認識です。当時、京大生でベンチャー企業に行く人は珍しい時代だったと思うんですけど、なぜリクルートに就職したんですか?

庄田:当時はDeNAやGREEなどのIT系のスタートアップがかなりの勢いで事業・組織成長していて、DeNA創業者の南場さんのセミナーを聞いた時にすごいなって思ったんですよね。それでベンチャー企業を中心に受けていました。

加えて、「みんなと違うことをやらないと、ビジネスマンとして優秀になれないんじゃないか」という考えを持っていました。なので、僕はみんなが選択しない道に敢えて進もうと思って、ベンチャー企業に注目していたのですが、最終的には大手のリクルートに入社しました。当時はITテクノロジーと経営の両面からビジネスのいろんなことを学べるチャンスが多いというイメージがあったのと、何より人の素晴らしさに魅せられたのが決め手となりました。

年収は900万から300万。それでも起業を決めた理由。

庄田:リクルートに入社して、最初の1年半はSUUMOの営業を担当しました。居住地は大阪でしたが、営業エリアが京都だったので、就職してからも京都でそのまま引き続き暮らしていたような感覚でした。

その後、東京本社で人事に異動することになり、新卒エンジニアの採用担当者としてHR領域に足を踏み入れました。新卒エンジニアの採用活動を通して、IT系の企業の方々との交流機会も増える中で、リクルートは単なるインターネット企業ではないんだなと改めて認識しましたね。

そこから次のキャリアを考えた時に、やはり学生時代から変わらずIT系のスタートアップで事業経験を重ねたいという気持ちが強くあったので、2015年に国内最大級のマッチングサービス「Pairs」などを開発・運営し、当時ちょうど本格的な事業成長フェーズに入っていたエウレカに入社しました。

岩﨑:当時、エウレカは企業としてはそこそこなサイズだったと思うんですけど、上場を目指すスタートアップ企業には入らなかったんですね。

庄田:そうですね。エウレカはすでに米国NASDAQ上場のMatch GroupにM&Aにより事業売却された後で、社員数は60人程度。じゃあ、なぜエウレカを選んだのかというと、共同創業者の赤坂優さんと西川順さんと一緒に働きたいと思ったからです。僕は誰と一緒に仕事をするのかが大事だと思っています。自分が日々よく接している5人の平均が自分というような話を聞いたことありませんか?僕はエウレカで優秀な人たちと働けたことで、視座を大きく上げることができました。

岩﨑:その点だとスタートアップや小さな会社に入るメリットで思うのは、上司を自分で決められることですよね。大企業に入社すると上司は誰になるかわからない。

ちなみに庄田さんは起業を考え始めたのはいつだったんですか?

 庄田:リクルートを退職する時から、漠然といつか起業しようとは思っていました。僕は88年生まれで、同い年の友人や知人には起業している人が多く、同期を超えたいという思いもありました。まずは彼らを超えることができたら、「普通な自分」というコンプレックスのような部分も乗り越えて大きく成長していけるのではないかなという考えもありました。なので、HERPを設立した当初は、社会をどうしたいや、どんな風に世の中に価値を出したいといった、企業としてのミッションに当たるようなものまで考えられていなかったですね。

岩﨑:なるほど。会社を立ち上げて、どのくらいの売上を上げたいとかは考えていたんですか?

庄田:実はそれもあまり考えていませんでした。ただ、元人事担当者としてのエンジニア採用のスキルはあったので、事業の売上が思うように伸びず、会社としての収支が厳しくなっても採用コンサルティングを提供することで、ひとまずどうにかなるとは思っていました。仮に一人体制で取り組んだとしても、エンジニア採用に特化したコンサルティング事業で4,000〜5,000万円ほどは売上を確保することができる自信があったんです。そうした背景から、会社設立当初から売上だけに執着するスタンスではなかったように思います。

実際、IPOやM&Aなどのいわゆる「イグジット」を経た、本当のお金持ちと出会って感じたのは、豊かな資産を持って自由時間がある状況よりも、そこまで手元にお金がなかったとしても仲間たちと会社で事業やプロダクトづくりに取り組んでいる時の方がずっと楽しそうだなというものでした。なので、大切なのはお金そのものではなく、何かに打ち込めるかどうかなのかなと思います。

ただ、起業当初は本当にお金がなくて、月25万円ほどの役員報酬でほとんどリボ払い生活でした。クレジットカードは毎月のように止まり続けていましたね(笑)

岩﨑:年収も相当下がったんじゃないですか?

庄田:リアルな話、僕の年収事情で言うとリクルート入社当時は年収500万円くらい。退職時の社会人3年目で年収800万円でした。エウレカ入社時は800万円で、退職時は900万円です。そこから起業して年収300万円になりました。ただ、リクルートの株は在籍時に持株会で購入していたんです。それが800万円ほどあったので、HERPにはそれらもすべてつぎ込む形で創業しました。

岩﨑:実際、そこそこお金があったから起業したのもあるのでしょうか。学生時代に戻るとしたら、学生起業も考えますか?

庄田:今すごく思うのは、経営者や起業家という立場に必要な素養は、人徳や社員からいかに信頼されるかといった部分なのではないかということです。僕は日本発であり、世界で使われるプロダクトを作りたいと思っているので、その規模感で話をすると、10年先、15年先もあらゆるステークホルダーのみなさんから「庄田が社長でいたほうがいい」と言われる人格を持っている状態でないと務まらないと考えています。

僕の価値観のベースはリクルートで叩き込んでもらったので、学生のまま起業したとしたら誰もついて来てくれなかったんじゃないでしょうか。

クラスター 岩﨑のキャリアについて

岩﨑:クラスターの岩﨑です。最後に僕のキャリアについても話をさせていただきます。

最初にクラスターについてですが、クラスター社は、誰もがバーチャル上で音楽ライブ、カンファレンスなどのイベントに参加したり、友達と常設ワールドやゲームで遊ぶことのできる国内最大級の「メタバースプラットフォーム」を展開しています。

結構大きい案件もやっていてポケモンやディズニーとコラボしたメタバースイベントも実施しました。今だとバーチャル渋谷という渋谷区公認のバーチャル空間を制作し、ハロウィンの新しい楽しみ方も提供しています。

辻中:どういったビジネスモデルなんですか?

岩﨑:法人と個人両方展開していて、法人はイベントをまるっとプロデュースする事業です。個人は自分で作ったCGコンテンツやアバターを売ることができるので、売れたら手数料を取った上でレベニューシェアしています。SHOWROOMのバーチャル版をイメージしてもらうと良いかもしれません。

最近はコロナの影響でリアルと並行してオンラインでイベントを行うニーズが増えています。そのおかげで売上も伸びていて、スタートアップ企業としては珍しく、2019年に最後の資金調達をしてから、資金調達は行っていません。

岩﨑:僕も学生時代の話をすると、2人と同じく普通に遊んでバイトして、朝まで麻雀するような生活でした。授業もほとんど行っていません。

サークルは生協学生委員会に入っていて、2年生の時に代表っぽい立ち位置も経験しました。このサークルでは、イベントの収支計画をたてて、生協の理事会で説明・承認を得る、実施報告を行うなど、今会社でやっていることとも似たような動きをしていました。

岩﨑:ちなみに学生委員会は4つのサークルから成るのですが、学生委員長が今の社長です。その下の1サークルを代表として執行部隊を担っていたので、当時と今も社長と僕の立ち位置は一緒ですね。

その後の就活ですが、元々は国際協力の分野で働きたいと思っていました。小さい頃に旅行でインドネシアに行った時に日本との貧困の差を見て、何が自分にできないかなと思っていました。なので、国連に行こうかなとか、そのために大学院に進学しようかなと考えていました。

でも、半年間のフィリピン留学を経て帰国したある日、ゴールデンタイムに流れてきたテレビCMを見て気持ちが変わりました。それはゴルゴ13を使ったLGジャパンのCMだったんですが、このCMを見て「日本の高度経済成長を支えた一角である電気産業、そのお膝元日本で韓国企業がゴールデンタイムにCMをやっている!もしかして今後日本の基幹産業も海外企業に負けていくのか?」という漠然とした危機感を持ちました。その後の電機メーカーの状況を見ていくうちに「国際協力だとか言う前に先に日本をどうにかしないと」と思ったんですよね。

岩﨑:そこで急遽、就活を決意して、途上国と日系大手企業の双方に関われる商社を中心に応募。ご縁あって三菱商事に入社しました。

三菱商事からスタートアップ企業に転職した理由は!?

辻中:三菱商事を辞めようと思った転機はあったんですか?

岩﨑:将来的には事業を見れる人にはなりたいと漠然と思っていて、三菱商事だとそのスキルを身につけるのに時間がかかると思ったからです。

三菱商事ではまず管理部門を希望して、1年目は子会社に出向して、単体決算の業務をしていました。2年目からは本社に戻り、三菱自動車の事業管理部門で連結決算や税務、財務関連の業務を経験しました。僕は法学部出身でこういう知識がなかったので、休日は会計本を読み漁ったり、自費で大原の税理士講座に通ったりしていました。

その後にいよいよ営業のスキルを身につけようと思ったんですけど、商社本店の営業部門ってほとんど管理部門の動きに近いんですよね。海外の投資先から上がってくる数字の管理をしたり、現地で一定金額の基準を超えたもの投資について本店で稟議を上げたり。管理部門から転向するとなおさら営業らしい営業をやらせてもらえない確率が低く、転職を決意しました。

辻中:そこでLiBを選んだのはなんででしょうか?

岩﨑:0から立ち上げのできる営業力を身につけたかったので、スタートアップに行くのは決めていました。その中でも、女性の活躍を掲げているLiBのビジョンに共感しました。就活の時から思っていた日本をどうにかしたいという思いは変わっていなかったので、日本の生産労働人口が減っているという課題に向き合えるLiBのサービスをやる意義を強く感じたんですよね。

岩﨑:ただ規模感も業種も職種も何もかも違う会社に転職してしまったので、相当きつかったです。大企業の上司とリクルート出身のLiBの役員陣とは仕事の進め方が違いすぎて、毎日メタメタにされていました(笑)

でも成果を出すためのマインド、コミュニケーション、マネジメント、事業の作り方など、本当に多くのことをリクルート式の教育で教えてもらいました。今、学生に戻ったとしても、就職で入りたいのはリクルートですね。

ちなみに年収の話をすると、三菱商事3年目の年収が残業込みで850万円でしたが、LiBは月収で30万円だけ。ただ、今はスタートアップの資金調達環境が様変わりしたので、ここまで低くなることはないと思います。

辻中:岩﨑さんはその後、クラスターに転職してますよね?

岩﨑:そうですね。クラスターには7人の時に入社しています。クラスターに入社したのは、代表と縁があったからもありますが、日本を元気にしたいという思いがある中で、日本固有の課題を解決するだけではなく、日本発のサービスでグローバル市場をとれるビジネスをやってみたかったからです。

岩﨑:メタバースの分野なら、日本の強みを活かせるのでグローバル市場でも勝てるかもしれない。今後も取締役として、世界で戦える事業にするべく邁進していきたいと思っています。

このイベントを通して、スタートアップに就職するという選択肢が学生の皆さんにも増えたら良いなと思います。

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